旧東独のことHome

Haus in Wörlitz2005年の8月から2007年の3月まで仕事の都合で旧東独に住んでいました。ユネスコ世界遺産バウハウスで有名な、デッサウと いう町の近くです。旧東独に引っ越すことは、私にとって簡単な決断ではありませんでした。これまで6年以上のドイツ滞在で旧東独地域に住んだのは、ベルリ ン(旧東ベルリン地区)で語学学校に通った一ヶ月だけでした。物事に先入観を持つのは嫌いなほうなのですが、多くの(西)ドイツ人の話や、1991年に旧 東独地域を旅行したときのイメージが、決断の際に強く影響したことは事実です。はっきり言って、好き好んで旧東独に住みたがる人は珍しい存在です。壁の崩 壊から今年で15年以上が過ぎたことになりますが、実際住んでみて様々な 面で東西の壁は歴然と存在していると言わざるを得ません。

ドイツという国を深く理解するに当たって、この点は避けて通ることができないのではないかと思います。仕事で旧東独に住むことになった経験を、旧西ドイツか ら来た”外国人”の新鮮な視点で、気付いた事・感じた事などを書き綴って見たいと思います。

strasse数年までは、 アウトバーン(高速道路)を走っていると、いつ東西の境界を越えたかすぐに分かりました。道が急に平らではなくなるからです。それに当時の監視塔が、不気味 に聳え 立っていますから。最近でこそ、高速道路も補修改装され、そのようなことも稀になりましたが・・・。観光地や大都市の中心部では、最新のショッピングセン ターが 造られるなど、西との違いは全くといっていい程感じられなくなりました。しかし一歩中心を外れると、西では見かけることのないような崩れかけた建物・割れ たままの窓ガラスやでこぼこの道・古い電信柱などが目立ち、自分が旧東ドイツにいることを実感させられます。

 感情面では、旧東ドイツ人はどこか西ドイツ人よりも悲観的な考え方をすることが多い気がします。壁の崩壊から15年たった今も、西と比べて明らか に高い失業率と明らかに低い平均所得。「自分たちは西に比べていつも損をしている」という感覚が根底にあるのは、不思議ではありません。もちろん個人差があ り、一般化して論じるのは危険かもしれませんが。家族や知人が引き裂かれて会うことさえかなわなかった以上に、共産主義から資本主義への転換に伴う個人の 価値観の転換は想像を絶する難しさだったに違いありません。

壁の崩壊後、多くの人が仕事を求めて西に移住しました。その流れの中で東に残ることを選んだ人々は、特に地元密着型で家族との絆が強いように感じま す。私の大家さん一家もその良い例です。子供たちはそれぞれ独立して、パートナーと住んでいるのですが、日曜日になるとみんな家族一同で親元に帰ってくる のです。みんな同じ町に住んでいるので、帰って来るといっても大した距離ではありませんが・・・。日曜日の午後は、お母さんの手作りケーキとコー ヒーで楽しい会話に花が咲くのです。天気の良い日には外で、何時間も・・・。ドイツに家族のいない私にしてみれば、本当に幸せそうでうらやましくなるばか りです。人は失って初めて、そのありがたさや温かさに気付いたりするものです。考えてみれば、それは私がかつて「そんな退屈なもの」と思ったものなのです。適当な仕事で我慢して親の近くに残るより、可能性に賭けるほうを選ん だ私なのですが、大家さん一家の単純に幸せそうな様子を見るたびに考え込んでしまうのです。私は一体、何を犠牲にして何を得たのだろうと・・・。同じ状況 でも、それを人生の「我慢や諦め」と感じるか、満足して幸せでいられるか、その違いだということに気付かされるのです。いい仕事やいい給料、いい暮らしが 幸せの条件にはならないのですから・・・。(詳しくは「生き方」参照)

町によって違うかもしれませんが、西に比べて旧東独地域で外国人は少なく感じます。それは、旧東独の高い失業率と限られた就職の場が影響していることは間 違いありません。そのせいか旧東ドイツ人は、外国人に対して警戒心が強い気がします。旧共産主義国の関係で、東ベルリンを中心として多くのベトナム人が暮らしているそうです。

私の職場の同僚旧東独女性が口をそろえて言うことは、壁の崩壊後、生活全般はもちろん特に仕事と家庭の両立が難しくなったということです。昔は結婚 すれば、政府からのお祝い金とともに確実に(好き好みさえ言わなければ)低家賃でマンションに入居できたそうです。職業研修や大学なども、子供がいても続 けられる仕組みが整っており、子供は保育所に100%入ることが出来たそうです。そのため職場では、女性が高い地位について働いていることも当然だったと いいます。当時は18~20歳で結婚するのが普通だったらしく、40代前半でおばあちゃんの人がざらにいるのです。将来の生活に対する不安がないことが、 結婚や出産を奨励するのを目の当たりにすると、わが身を振り返ってぎょっとさせられると同時に感心してしまいます。もちろん昨今では、旧東独も晩婚傾向が旧西ドイツ同様進んできているようです。

Rotstern Schokolade

 スーパーでの買い物の際、西で見かける事のない”東ブランド”の商品を見つけては試してみるのが、最近の私の趣 味になりました。 パッケージがなんとなくレトロで、派手さはないのですが、値段の割には品質も良いようです。壁の崩壊後、多くの旧東独企業が旧西独の企業に買収されたりなどして最新 の工場が建てられたそうなので、それも納得がいく話です。旧東ドイツ出身で、壁の崩壊後西で暮らしている友人などは、食べなれた味を求めてわざわざ遠くの「東ブランドを扱ったスーパー」まで買出しに行くそうです。wörlitzerpark

 私の住んでいる小さな町では、11月のある週末三日間にわたってクリスマス市が開かれていました。観光化されていない、本当に小ぢんま りとした、雰囲気のあるクリスマ ス 市。いくつかのクリスマス飾り・ろうそくの屋台・グリューワインと呼ばれる温かい冬のワインの屋台・焼きソーセージの屋台・もみの木(クリスマスツリー) の販売・クリスマスのお菓子とコーヒーの屋台。これまでにドイツで、数多くの町のクリスマス市を見ましたが、その中でも最も印象に残るものでした。ドイツ の有名な大都市のクリスマス市は、観光客と酔っ払い相手の商売一辺倒で見る価値のないものが多くなってしまいました。旧東独で、まだ余り知られていない素 敵な所やすば らしい物を見ると、私はいつも考え込んでしまうのです。日本に紹介してたくさんの日本人に見てもらえたら、きっと大喜びするだろうに・・・。地元の経済は 活性化するかもしれませんが、観光化されてせっかくの雰囲気は壊れてしまう・・・。

(追記)
最近日本から友人がやってた時、彼女の旅行ガイド「地球の歩き方」を見せてもらいました。何から何まで、詳しく書いてあることには全く驚きます。私が持っ ている1992-93版では、西ドイツとベルリンだけの情報でしたが、今はもちろんドイツ全土の情報です。しかも、私の住んでいた町「Wö rlitz」の記述もあるではありませんか!!びっくりです。「ユネスコ世界遺産の庭園」以外何にもない、あんな小さな村を訪ねる日本人がいるのかなー? しかも交通の便、めちゃ悪いのに。ガイドブックには、お薦め料理からお土産のヒントまで、ドイツに長く滞在した人でないと分からないような情報がたくさん 載っていました。でもそこに書いてある通りのものを食べて、書いてある通りのものを見て、お薦めのお土産を買って変えるのも何だかつまらない気もします が。
(2007年9月14日)

Haus der Geschichte - Alltag DDR

Alltag DDR職場の友人が、Lutherstdt-Wittenbergとい う町に住んでいたので一度訪ねていきました。町の名前から分かる通り、宗教改革のルターで有名で数多くの見所があるのですが、その時行った博物館は興味深 いものでした。旧東ドイツ当時の、日常生活に関するありとあらゆるものが展示されています。食器・食品等の日常品はもちろん、おもちゃ・家具・洋服に至る まで全てです。ナチの時代の教科書や配給切符・代用コーヒー・電気式ケーキ焼き機なんていうものまであります。建物そのものが当時幼稚園として使われてい たこともあって、当時の様子を実感することが出来ます。他にも、食料品店や若者の部屋・ディスコなどが再現されています。展示も年代ごとに順を追って見学 できるようになっているので、時代の移り変わりをはっきりと見て感じられます。一緒に行った私の同僚は生粋の東独人なので、ずっと「懐かしー」を連発し続 けてました。親切な担当の女性が、自分の体験も含めて詳しく説明してくれます。ドイツ語が出来なくても、展示品を見るだけでも行く価値はあると思います。私はお土産に、当時の古いレシピ(1945年のもの)を買って帰りました。

興味のある方は、ぜひ訪ねてみてください。ドイツの違う一面を発見すること間違いなしです。(2007年8月15日)

Haus der Geschichte - Alltag DDR
 
Schlossstr. 6
06886 Lutherstadt Wittenberg

開館時間(要確認):
月- 金: 10-17 Uhr
土日祝: 11-18 Uhr 
電話: 03491- 40 90 04     Fax: 03491- 6429235

買ってきたレシピ集の中にあった、興味深いレシピをいくつかご紹介します。当時はもちろん食糧難の時代ですから、テーマは「限られた食材で作る変化 に富んだ献立」。26種類にも及ぶジャガイモ料理とパンに塗るスプレッドのアイデア。当時貴重だった、油や牛乳・卵を使わない料理のアイデアなど。

(ジャガイモの皮から作った澱粉)
この食糧難の時代には、何も無駄にすることは出来ません。ですから、ジャガイモの皮も食用として小麦粉の代用として使用することをお薦めします。剥いた ジャガイモの皮を、きれいに洗います。良く乾燥させてから、コーヒー挽き又は粉挽きで挽きます。そのようにして出来た粉は、ソースやスープのとろみをつけ る時、又は小麦粉に足して同じように使用出来ます。

(手作りイースト)
毎日忙しく働いているのですから、日曜や祝日くらいはすこし贅沢したいですね。でも、そこでケーキ用のイーストが足りないのでは困ります。買ったイースト をのばして何度も使うというのは知られたことですが、全く買ったイーストなしで自分でイーストを作れるのをご存知ですか?そのために、中ぐらいの茹でジャガイモ 3個をつぶしてティースプーン一杯の砂糖を加えます。ビールを少々加え、全体を良く混ぜます。それを数日間室温で自然発酵させ、それをイーストとして1- 1,5kgの粉に使用します。

レシピは、実験していませんので結果に責任はもてません。勇気のある方実験してみてください!
(追記 2007年9月14日)

東ブランド名品

Knusper Flocken

上にも記したように、旧東ドイツにはまだそこでしか買えない「旧東ブランド」が存在します。現在は西地域に住んでいるけれど旧東ブランドが買いたい、という人のために特別のインターネットショッピングサイトが あったりするぐらいです。時には首を傾げたくなるものもあるのですが、中には病みつきになる名品もいくつかあるのです。旧東ブランドのソース類や酢漬けの きゅうり・マスタードなどは特に有名です。そしてお菓子類は、旧東独生まれの旧東独育ちには忘れがたいなつかしの味が多数あるのだそうです。色々話を聞く とちょっと退いてしまうようなものも多いのですが、それは日本の駄菓子と同じかもしれませんね・・・。今回ご紹介するは、お菓子のなかでも私のお薦めの一 つ、Zettiと いうメーカーの「Knusper Flocken」というお菓子です。決して高いお菓子ではありませんし(125g入りで1ユーロ程だと思います)、洗練された味でもありません。でも、何 だか時々無性に食べたくなる味なのです。見た目は、妙に表面がごつごつしたチョコレート。クネッケ(ライ麦で出来たラスクのようなもの)が25%も入った ミルクチョコレートなんです。クネッケが入っていると、ちょっとコーンフレークのような感じなんです。その分、食べたときの罪悪感も薄れる気がします。 (ウソか本当か知りませんが、東時代には工場を掃き集めたもので作られていたなんて言われていたそうです。)見かけられたら、ぜひ一度お試しください!

(2008年4月3日)