2002年の3月に、ドイツで椎間板ヘルニアになったため、パン屋で働くことが出来なくなりました。ハノーファーのパン屋にゲゼレとしての就職先を決め、下宿も決めて引っ 越したというのにです。ドイツでは 転職まで勧められましたが、どうしてもマイスターへの夢を諦 めることが出来ませんでした。マイスター試験を受けるためには、少なくとも3年間パン職人として働かなければなりません。(この条件は緩和される方向にあ ります)日本に帰ってまたOLをする事は不可能に近かったですし、そうしたいとも思わなかったのでこちらに残って可能性を探ることにしました。パン職人の 修業時代にお世話になった学校の先生、リハビリセンターの就職転職相談担当者などの助けもあって、運良く同じハノーファーの Fachschule Lebensmitteltechnikに入れることになりました。2002年の6月半ばのことでした。私が担当者に電話した日は 何と夏休みの前日で、あと一日遅かったら入学できなかったところでした。本来なら願書は1月末締め切りなのですが、幸運にも入学を許可してもらうことが出 来ました。(テクニカーの資格でマイスター試験の理論試験が免除になることは、学校に入ってかなり経ってから知りました。)
この学校は、Fachschule Lebensmitteltechnik といって、1993年にハノーファーの職業学校に新設された公立2年制の高 等専門学校(食品科学)です。ドイツでは、公立学校は授業料がかかりませんから、支払ったのは専門書代や実習用の白衣代・見学研修旅行費等だけでした。ま だ新しい学校ですが、近年関心が高まり応募者が年々増えているそうです。
この学校の教育目的は、製パン技術者として商品開発や品質管理・工場管理をする専門家を育てることにあります。また、販売関係の教育も 充実しているので、販売管理職に就くことも可能です。1年後、2年後に取れる資格の正式名称は:
(卒業試験合格者には、大学で食品化学を勉強する資格が与えられます。)
入学の条件は、パン職人・菓子職人またはその販売員として、
(私の場合は、日本のパン屋でアルバイトしていた経験とゲストハウスでの研修が考慮されました。)
教科は広範囲に及びます。
テクニカーの仕事としては、穀類に関する食品製造の小中規模~大規模工場の製造・販売部門が考えられます。卸売り業者や飼料製造関係に も、仕事の場があると考えられます。多くの卒業生は、パン・菓子の製造またはその原材料に関する企業(製粉工場等)で働いています。仕事の地位的には、中 から上級の役割。具体的には、
私は、クラスで唯一の外国人でした。クラスメイトは15人。(初めは18人からスタートしましたが、3人がと途中放棄)元パン職人、元 お菓子職人、元パンの売り子さんが私のクラスメイト。年齢的には20代前半から後半の人が大半でした。最終的に、卒業試験に合格したのはそのうち12人で した。
2年間は課題とテストに追われる毎日でした。授業は、曜日・学年によって多少違いますが8時から15時ごろまででした。実験や実習のあ るときは、19時を過ぎることもしょっちゅうでした。専門書を大量に読まなければならず、どうしても言葉の問題がある私にとっては厳しいものでした。パン 関係の本なら、職業学校時代の勉強のおかげで比較的楽だったのですが、政治や経営・機械関係の専門用語には悪戦苦闘させられました。辞書を引いても日本語 の意味さえピンとこなかったのには困りました。テストも、読んで書くスピードがどうしても遅く、時間が足りずに悔しい思いをしたこともしばしばありまし た。ドイツ語の授業や、販売などのプレゼンテーションの時も、常に言葉のハンディはついて回りました。
Backversuch というのはいわゆる”実習”ですが、ただパンを焼いて終わりという ような簡単なものではありません。例えば、同じレシピでさまざまな種類の粉を使ってパンを焼き、その生地の状態・発酵具合・焼きあがり・味などの違いを調 べるという様にです。それに、Standardbackversuch と呼ばれる、小麦・ライ麦の品質と性質をテストするためのWeizen・Roggen・Brötchen の”基本実験”があります。特に興味深かったのは、さまざまなサワー種(ドイ ツには数多くのサワー種のレシピが存在するのです。)の比較実験と、グループに分かれてスポンジケーキのレシピの改良実験をしたことでした。その実験で は、私のグループのスポンジケーキが最も理想的であると評価されました。
実習後は、各自またはペアで Bericht・Protokoll と呼ばれる実験報告書を提出しなければなりませんでした。実験の複雑さ によって、簡単な場合は一週間以内に 5-6 ページの Protokoll を提出しました。複雑な場合は、30 ページにものぼる大作の Bericht に詳しい 実験内容・目的・技術理論・結果、それになぜ結果がそうなったのか、その結果から何がわかるかなどを書かなければなりませんでした。週末にクラスメイト と、コンピュータに向かってただひたすら報告書を書き続けたのを懐かしく思い出します。
パンの品質検査も、Sensorik という教科に属するテクニカーとしての重要な勉強です。学校では、DLG (ドイツ農業協会)の行っ ているパンの品質検査法を基本として習いました。これはパンを点数制で評価するもので、理想から外れる点をマイナスとして計算します。判断の基準になるの は次の通りです。
パンやお菓子の種類によって、重視されるポイントが違います。味のテストの際は、パンの中央部分だけ(もちろん何もつけずに)試食しま す。パンの皮の部分には常に、焼くことによって特別の旨みと香りが生まれますから、テストではパンの中身がチェックされるのです。味覚を中性にするために、水を飲むことだけが許可されています。(試験官はテスト前数時間の喫煙、飲酒が 禁止されています。空腹も満腹も不可。コーヒー・香水も禁止。)検査中は中立性を保つために、パンは番号で識別されます。何度も何度も、目をつぶって集中 しパンの切り口に鼻をこすりつけるようににおいをかぎ、親指で何度も断面を押してその弾力性をテストしたのは忘れられません。
テクニカーにとって重要な Mehlanalytik というのは、粉の品質を様々な分析器を使ってテストすることです。品質の良し悪しだ
けでなく、パンやお菓子の種類によって必要とされる粉の特性は様々なので、詳しく分析することが大切なのです。例えば、
などがあげられます。それぞれの実験値を、正確に判定することは容易なことではありませんでしたが、どれも興味深いものでした。
最終的には、私はなんとクラスで2番の成績で卒業試験に合格することが出来ました。2年間の勉強は、苦しかったながらもどれも興味深 く、はじめて”勉強することの楽しさ”を知った気がします。特に製パン技術では、修行時代には習わなかった深い ところまで勉強することが出来ました。椎間板ヘルニアをきっかけに言うなれば偶然入った学校ですが、本当に得がたい貴重な勉強と多くの経験が出来たと思い ます。2年間苦楽を共にしたクラスメイトは言うまでもないことですが、すばらしい先生方に出会えたことも私の人生の財産になりました。