パンのマイスター

2004年の7月16日に、長年の夢だった”マイスターブリーフ”をもらうことが出来ました。それを手に渡される時、マイ スターになろうと決心してからの10年余りの日々を思い出し、気が遠くなるような気がしました。試験は合計3日間。本当に長い3日間でした。私の場合はドイツの国家資格「テ クニカー」を取っているということで、理論の試験が免除になりました。

試験に参加したのは、テクニカー学校のクラスメイト5人と私、それに二度目の挑戦をするというゲゼレ2人でした。4人ずつのグループに分かれての受 験となりました。試験を受けるにあたって、クラスメイトと一緒に直前の約2週間学校で先生の指導を仰ぎつつ、実技試験の特訓をしました。それまでにも、春 休み・秋休みにはマイスター学校の主催する、それぞれ一週間の特訓コースに参加しました。試験の場でチェックされるポイントなどを、細かく教えてもらった ことは役に立ちました。パン屋では多くの場合、仕事は分業制で行われます。生地を作る担当・焼く担当・成形する担当という具合です。試験の場では全ての工 程を自分一人で、しかも同時に多くのものを作らなければならないので、また一層難しいのです。

試験日までに、 ”マッペ”と呼ばれる計画書を提出することが義務付けられていました。それには、全てのパン・ケーキのレシピ(材料・分量・手順 等)、そのパン・ケーキの説明(味・食べ方・日持ち等)、原価・売価計算、全工程のタイムスケジュール、それに各自の選んだテーマが含まれ、約30ページ に及びました。なんと言っても苦労したのは、タイムスケジュールです。オーブンに入れられる量には限界がありますし、パイ生地などを伸ばす機械も一台しか ありませんから、同じグループのメンバーと順番に使わなければならないのです。エクセルの表を前に、深夜まで全員のスケジュールを”ああでも ないこうでもない”とプランし直し続けたのは、良い思いでです。

各自テーマを決めてそれに従って作品を作り上げ、最終的にショーウィンドー(1.6m・0.8m・0.8m )を飾り付けなければなりません。私の選 んだテーマは、”Oma´s Zeiten”(おばあちゃんの時代)。失われゆく、ドイツの古き良き手作りの伝統を表現したいと決めました。それこそが、私に ドイツでの修行を決心させた理由だったとも言えるからです。知人・友人から、古い台所用具やケーキの焼き型・パンこね用の桶などを貸してもらい、それに麦 の穂やリースを飾ることにしました。他の受験者のテーマは、ワイン祭り・サッカー・子供の誕生パーティ・自分の故郷などでした。

1日目: 口頭試験

約20分間に渡って試験官が、パンに関する法律や販売の場での会話能力をテストします。

試験項目は

パン・ケーキを適切に包装する手際もチェックされます。マイスターは、優れた”職人”であると同時に、”経営者”そして職人や売り子さんを育てる”教育者”でなければならないという理由です。

2日目: ”アルバイツプローベ”と呼ばれる実技試験 (6時間)


3日目: ”マイスタープリューフングスアルバイト”と呼ばれる実技試験 (5時間)

ショーウィンドーの飾り付けは、マイスターには職人かつ経営者として商品をプレゼンテーションする能力が必要だと考えられているためです。試験内容 は、学校・州によって多少違います。例えば、南ドイツではBrezelという南ドイツ特有のパンが必須科目になりますし、一部の学校ではお菓子職人並みにケーキを作らなければならないそうです。2、3日目の試験時間はそれぞれ5、6時 間ですが、試験の始まる前には前日からのサワー種の仕込みを含む準備時間(全ての材料を量って、道具も準備する)が4時間ほど必要でした。試験後には後片 付けの時間がまた2時間ほどかかりましたから、試験が終わった後は本当にくたくたになりました。Yuko vor Schaufenster

試験全工程を通して、インスタント製品の使用は厳しく禁じられています。それは仕事を簡略化し生産性を高めるために、(残念ながら)昨今多くのパン 屋で使われているものなのです。作業の正確さや清潔さ、ケーキ・パンの味・見た目以外にも、全工程が計画どおりに行われたかも審査の対象になります。とい うのは、計画した出来あがり時間より早くても遅くても減点されることを意味します。一種類でも販売するに値しないものがあれば(例えば、パンが一つ焦げてしま うとか)、そこで落第が決定するほど厳しいものです。

普通の人は、3~6ヶ月のマイスター準備コース(全日制)に通い、理論と実技の集中特訓を受けます。この間は働けない上に参加費がかなり高いので、 ドイツ人にとって”マイスター試験を受ける”というのは相当勇気の要る決断になります。マイスターとして働くともちろん給料は上 がりますが、それだけ仕事上の責任も増えます。その上、求人数も普通の職人(ゲゼレ)に比べて少なくなるので、親の家業を継ぐか独立するつもりでもなけれ ば、高いお金をかける価値はないというのが多くのドイツ人パン職人の考え方です。

”マイスター制度の廃止”がHWK(手工業会議所)とInnung(職人組合)等の間で、大きな議論になっています。実際 トルコ人などは、マイスターの資格なしでトルコ式のパンを販売することができますし、長年経験を積んだゲゼレの方が新米のマイスターより技術は上、という こともあります。EU統合で外国での就労が活発化する中、「どうしてドイツ人だけ独立するのにマイスターの資格が必要なのか」という議論が出てくるのも不 思議ではありません。現実問題として、マイスター学校抱える職人組合側としては、学校の経営のかかった死活問題でもあります。 近い将来、マイスターの資 格は独立の際の必要条件ではなくなるだろうと言われています。しかし、”確かな品質と技術”を証明する証として残りつづけるだろ う、と言われていることもまた事実です。