1971年、兵庫県・伊丹市生まれ。3歳、2歳年上の姉が二人。普通に四年制の大学を卒業して、普通にOLをしていました。山歩きとお 菓子・パンを焼くのが趣味。母がするのを見よう見まねで、パンをはじめて一人で焼いたのは小学3年生の頃。微妙な条件でいつも変わる焼き上がりの違いに面 白さを発見し、それ以来虜になってしまいました。アメリカに留学していた姉の影響もあって、海外にはずっと興味があり、大学時代も国際学生協会というサー クルで、海外の学生と交流する活動していました。ドイツにはいつもあこがれていたので、第二外国語は当然ドイツ語を選択しました。
20歳の時、偶然書いたたった一枚のはがきで、ドイツ行きのビジネスクラスのチケットを手に入れました。その時英語と片言のドイツ語で ドイツ一人旅をしたのがきっかけで、ドイツにすっかり魅せられてしまいました。美しい町並みと景色、とりわけ"ドイツのパンのおいし さと種類の豊富さ"が印象に残りました。
OL生活3年目、残業・休日出勤のストレスを感じる暇もない生活の中で"生きる意味・働く目的 "が自分で分からなくなってしまいました。安定した仕事でいいお給料をもらっていたけれど、ずっと不満で"何か 違う "という思いが拭えませんでした。ただ"ほかの人より良い点数をとること、良い大学を卒業すること "だけを考えてきた子供時代・学生時代。それが良い人生を保証してくれるかのように…。今思えば、なぜそんな ことを信じられたのか自分でも不思議ですが ...。"どんな人生をどのように生きていきたいのか"を本当に考えたことは、恥ずかしなが ら20代半ばを過ぎるまでなかった様に思います。
20代の半ば過ぎ、女性としての仕事上の行き詰まりを感じた時、"立ち止って自分の人生についてゆっくり考えたい "と強く思いました。その時「たった一度の人生、好きなことをして生きていきたい!」という結論に達したのです。何も行動せず後悔だ らけの学生時代だったから、このまま世間の目に縛られて後悔することはしたくない、と思ったのです。
もちろんそれは簡単な決断ではありませんでした。私を理解し支援してくれたのは、極一部の友人だけでした。周りのほぼ全ての人は、 "ドイツでマイスターになる"などという途方もないことを言い出した私を、哀れに思うか鼻で笑っていたに違いあ りません。無理もないことですが...。そんな中「本当にやれるだろうか?」という不安にさいなまれることもしょっちゅうでした。両親 の大反対を押し切って会社を辞めた日、それは「失業率が過去最悪になった」というニュースが流れた日でした。1998年6月、語学学校(2ヶ月)とゲスト ハウスでの研修(1年間)のためドイツ行きを決行しました。
あれから8年以上の年月が流れました。思い返してみればいろんなことがありましたが、本当にあっという間でそんなに年月が過ぎたとは信じられない気 がします。私は、ドイツで望んだとおりパンの修行をし、ゲゼレ・マイスターの資格を取り、今もまだドイツで暮らしています。ドイツが大好きなことは、あの 頃と同じで何も変わっていません。これからどこでどう生きるのかまだ私にも良く分かりませんが、ずっとドイツパンと関っていきたいと思っています。
(2006年11月10日)