海外に暮らすということ

海外に暮らすということ

昔から、世界地理の授業が大好きでした。教科書に載っているカラフルな写真を見ながら、未知の世界を想像しては夢を描いていました。いろんな国にいろんな 人種・民族が住んでいて、「いろんな言語や文化がこの地球上に同時に存在していること」が何よりも私にとって興味深いことでし た。ですから大学で国際学生協会に参加したのも自然の成り行きでした。第三世界を中心とする世界各国から学生を招いたり、アジアの国々を訪ねたりして学生 たちと交流したのは、今でも忘れられない思い出です。世界の平和のために私達になにが出来るのか?と、深夜までみんなで熱い 議論を戦わせた若かった頃のことを懐かしく思い出します。

「海の向こうで暮らしてみれば」と「世界ウルルン滞在記」が当時の私のお気に入りに番組で、毎週欠かさず見ていました。特に「海の向こうでー」の出演者達 は、なぜだか生き生きと輝いてすてきに見えました。自分の夢に向かってがんばることがどんなに素晴らしいことか、分かったような気がしました。もちろんそ れは、辛い苦しい部分を切り取ったテレビ番組の中で余計に輝いて見えたのかも知れませんが。「世界-」はスタッフが全てお膳 立てした上での、言葉も分からずでのたかが数日間の経験ですから、留学などの長期滞在とは比べ様もないのですが・・・。

ドイツ在住ということで、よくひとに「好きなことが出来てうらやましい」と言われたりします。確かに私は、安全で 確かな人生よりも好きなことをして生きることを選びました。それは、楽で楽しいことばかりのように聞こえますが、不安定 で全て自己責任を取らなければならないという厳しいものなのです。自由と可能性の代償とも言えるかもしれません。私はドイツ 行きを決断してからこれまで、一度も辛いと思ったことはありませんし後悔したこともありません。むしろその厳しささえも、どこか楽しかったのです。日本の 友達との接点がどんどんなくなっていくのは、寂しいことですが・・・。 

Yuko und Ingo32 年間待ちつづけてやっと、人生を一緒に生きていきたいと思う人に出会いました。両親は、「この子はちょっと変わっているから、一生一人かも」と思っていた そうですが。自分でも、地球上の50億人の人間の中からたった一人の「私の人」を見つけ出すなんて 無理、と思い始めていたところでした。テクニカー学校時代のクラスメイトのお兄さんです。パン職人ではなくコンピュータの専門家で、朝にはパンではなくシ リアルを食べる人ですが、一緒にいてとても自然で人種や言葉の違いを感じないのです。彼のホームページもなかなか面白いので、興味のある方は一見のほど。 (ただし英語版のみ)  

いつも思うのですが、友人になれるかどうかとか、お互い理解し合えるかどうかということは、人種 とは関係がないのではないでしょうか。実際日本人同士でも、まったく理解し合えないことも私は多々経験しました。逆に、人種や話す言葉が違っても分かり合 えるといううれしい経験も多くありました。パンの修行時代に友人を通じて知り合ったハイディとアヒム。彼らとは初めて会った気がしませんでした。これまた 別の友人を通して知り合ったアンネマリーとはすぐに意気投合しました。全く同じ年齢で同じ誕生日で、同じくらいの時間に生まれたと知った時は驚きました。 それにいつも私を暖かく支えてくれたカンツラー夫人。その他たくさんの私の友人達、みんなみんな大好きです。知り合えたことに感謝しています。

(2006年10月)

文化摩擦一考

昔、ドイツに来てまだそんなに長くない頃、ドイツに住んで20年30年という日本人女性何人かに出会ったことがありました。その時は、「さすがに ちょっと変わってるわ」という印象を持ったものでした。それは日本語が多少不自由なことでも外見のことでもありませんでした。何がと言われても説明しにくいの ですが、強いて言うなら、「日本人なのに、話し方や態度などがどこか日本人じゃなかった」ということでしょうか。私自身のドイツ滞在も今年で11年目を迎 え、その当時の自分の反応を懐かしく思い出すようになりました。どちらかと言うと私はもう、「変わってる」と言われる部類に入るでしょうか・・・。

Momijiまあ、日本に住んでいても色んな人がいて、人付き合いが難しいのは同じかもしれませんが、海外での日本人との付き合いはさらにややこしい気がしま す。というのも、人によって「日本人だけど日本人じゃない」レベルがかなり違うからなのです。これまでたくさんの日本人とドイツで出会いましたが、ドイツに長く住んでいてもしっかり日本的な方もおられます し、逆に滞在が短くてもしっかりドイツ化している方もおられます。問題なのは、それが一見しては分からないことで、場違いな(または間違った)態度で相手 にひんしゅくを買うということにもなりかねません。さらに問題なのは、同じ人物でもドイツ化した部分と日本人的な部分が混在している場合が多いことです。 手土産の習慣は日本的に、でも敬語や季節の挨拶状は不要、話し方はダイレクトになどなかなか難しいものです。私も、相手を尊重して出来るだけ合わせてあげようとするからしんどいんです。ドイツ人にドイツ人的な態度をされても何とも 思わないのに、日本人にドイツ人的な態度をされるとギョッとしてしまうのは、私が日本人的過ぎるのでしょうか。ダイレクトに批判を言われたりすること、家 族や自分自身の自慢を大っぴらに聞かされること、仕事の場面で家族の話をすること(アメリカ大統領オバマ氏の就任演説は、朝日新聞の全文翻訳によると、奥 さんや子供に対する愛情や感謝の表現は全て省略されていました。)などは、それ自身日本語でありながら日本文化とそぐわない気がするのは私だけでしょうか?いまどきの日本の若い人達なら何とも思わないのでしょうか?もち ろん、ドイツ社会では日本的な態度よりも、ドイツ式の態度の方が受けがよく評価も良いようですから、日本人がドイツ化することはここで暮らす上では得策で はあります。

妻のことを「愚妻です」と紹介するより、「愛するすばらしい妻です」と紹介する方がステキと思いつつ、日本人にそれを言われるとやっぱりギョッとし てしまいそうです。そう言いながら、私も日本人なら言わないようなことを無意識に言って、相手にあきれられているかもしれません。私自身の中でも、日本的 な面とドイツ化した面がしばしば葛藤を起こします。まだこんな日本的な部分が自分にもあったのかと思うことも多々あります。そのギャップは、将来だんだん 小さくなっていくのだろうとは思いますが、結局この先も日本人でもドイツ人でもない自分と向き合いながら生きていくより仕方がないのでしょう。私にとって それは面倒な仕事でありながら、同時に、ドイツ文化と日本文化、そして自分自身を再発見する楽しい発掘作業でもあるのです。昔は嫌な部分ばかり目に付いて 仕方なかった「日本」ですが、日本文化の良さ、日本語の美しさは大切に伝えていきたいと思います。私の娘も、ドイツ人と日本人の 間に生まれた子供として、いつか私と同じ様な問題と直面することになるのでしょうが、彼女なりの答えを見つけて欲しいと願って止みません。
(2009年1月24日)

「イケてない日本」ー日本人のホントのところDarum nerven Japaner

最近、友人(ドイツ人の夫を持つ日本人)に面白い本を貸してもらいました。「面白いけど、ちょっときつく書きすぎで納得いかないよー。」というコメ ント付きだったので、一層興味が湧きました。著者のドイツ人は、テレビ番組「ここがヘンだよ日本人」にも出演していた、1967年生まれのソフト開発エン ジニアです。ハンブルク大学、フランスのボルドー大学で言語学・日本語・ジャーナリズムの学士、言語学の修士取得後、筑波大学に留学。1997年に東京工 業大学で計算工学博士号を取得したという、ドイツ人としてはユニークな経歴の持ち主です。本の中で一部、日本語が理解しにくいヘンなところがありますが、 それはドイツ人が日本語で書いている本なので仕方ないでしょう。でも率直に言って、ドイツ人がここまで日本語で書けるというのは本当に立派だと思います。 日本滞在は、本の出版時点で計算上5年ですから大したものです。

彼の目から見て、日本や日本人のどんな所がイライラするか、というのがこの本のテーマです。友人のコメントには納得するものがありましたが、多くの 点に関してどちらかと言うと私は共感を持ちました。それらは、日本で私自身がイライラさせられていた原因だったからです。一つ気になったのは、彼は自分が 経験したことに非常に断定的な表現をしていることでした。留学生という立場で、限られた期間、日本の限られた場所に滞在した訳ですから、出会う人も経験も 限られていたであろうと思われますが・・・。それに彼は、ドイツで外国人として受ける様々な理不尽な経験をすることがないので、ドイツのおかしさには気付 かないに違いありません。ドイツに外国人として長期滞在する日本人としては、「ドイツも別の意味で同じくらいイライラするよ!」って感じですが、まあ興味 深くはありますし話のネタにはなります。ドイツ人のパートナーのいる方、ドイツ人がどんな考え方をするか知りたい方、そして日本を別の目から見てみたい方 にはお薦めです。ドイツ語版が日本語版の後で発行されているそうです。両方を読み比べてみるのも面白いかも、と思っている所です。
(2009年2月7日)