生き方

子供の頃、35歳と聞くとその人は「大人で何の悩みも迷いもなく、何でもできるのだろう」と思ったものでした。実際自分がその歳になってみると、そ れが全くの誤解であったことに気付きました。(もしかしたら私の場合だけ??)ともかく学生時代、受験一辺倒で「人生や生き方」について考えるこ とがなかった私にとって、それは今とても重大なそして興味深いテーマになっています。このページでは、私が学んだことを紹介していきます。

幸福の条件Blumen

日本でOLをしていた頃、私は不幸でした。毎日ため息をついては、母親にあきれられたものでした。今思えば、いい会社のいい職で、かなりいいお給料をもらっていたのにです。片道一時間半、満員電車に揺られての通勤。地 下鉄からはきだされた時目に入る、カレンダーの日付が変わる以外、毎日何も変ることがないように思えました。一日一日をただ過去に押しやるだけの人生を、耐え難く感じていました。仕事でもやりがいが感じられず、恋人もいなかった私は、自分が不幸なのは「周りの環境のせ いだ」と思い込みました。当時私が不幸だったのは、「私が不 幸な考え方をしていたからだ」ということが今、私にははっきり分かります。コップに半分の水を「半分しかない」と思うか、「半分もある」と思うかの違いなのです。

幸福というのは、条件が揃っていれば必然的に与えられるものではありません。本 人の内面から起こってくるものだということが、ようやくこの歳になった分かったのです。私はこのことに気付くために、半ば強引にドイツにやってくる必要が あったのだとさえ思うのです。最近色々な本を読んでいて気がついたことは、作者も書かれている言語も分野もまったく違うのに、テーマが驚くほど似通っているということです。共通しているテーマは、

考えること、思い願うことの重要さ、そしてその人生または健康への影響

病気も事故も、相手の態度も決断すらも、自分が原因となって起こるというと納得しがたく思う人も多いでしょう。私も初めは信じる気になりませんでし たが、様々な経験を通してそれが確かであると認めざるを得なくなったのです。古くから、東洋医学では人間の心と体の密接な関係に注目していました。病気を 本当に治すためには、症状を抑えるのではなく、心と体全体診て治療しなければいけないということです。逆に言うと、心や精神の状態が病気を引き起こしてい ることが言えるのです。考え方によって病気にならないばかりか、将来まで変えてしまえるというなら利用しない手はありません。とは言いつつ、勉強してもい つもポジティブな精神状態でいるのは難しいものです。これから、まだまだ勉強して行こうと思っています。

himmel

おすすめの本

本の中からのお気に入りの言葉
Sei sicher: Was du suchst, sucht auch dich!

あなたの探しているものは、きっとあなたのことを探しています


心と体の健康

また最近、健康について考えることが多くなりました。というのも、母の調子が悪くてしかも原因がよく分からないからなのです。日本の先端医療では、 ひたすら症状を改善させようと対処療法に奔走しているような気がして仕方がありません。薬・もっと強い薬・さらにその副作用を抑える薬・・・。

先日から気分が優れなかったのですが、今日は思い切って朝からジョギングに出掛けました。走って汗をかいてシャワーを浴びると、本当に生まれ変わっ たように爽快な気分になります。そういう時、「心と身体と頭」の密接なつながりを感じます。その三つすべてが健康で、初めて健康なのだとつくづく感じま す。 精神的にストレスがある人は、いつか身体に病気となって症状が現れると私は考えています。病気を身体からのメッセージとして受け止めることで、病気とうま く付き合い最小限に抑えていくことが出来るはずです。「身体は自分が思うよりはるかにうまく出来ているし、強く出来ている。そして、働きかければ応えて くれる。」というのが、私の経験を通して得た結論です。

小学校・中学校時代は、体育(懐かしい響き!)は苦手でしたが嫌いではありませんでした。それが高校に入って、ヒステリックな鬼女性体育教官に当 たってしまい、体育は苦痛以外の何物でもなくなってしまいました。真冬に半そで半パンで走らされたり、生理痛で見学したいときは男性教官もたくさんいる教 官室でその旨を大声で叫ばなければならなかったり・・・。社会人になってからは、スポーツからは縁遠い生活を送って来ました。当時はそんな精神的余裕はな かったですし、日本では定期的にスポーツをすることにかなりの努力が必要な気がします。散歩やジョギングの出来る快適な環境に住んでいる人、そしてまだ明 るいうちに帰宅できる幸運な人はどれだけいるでしょうか・・・。今、近くの森・プールまで徒歩5分というところに住んでいると、スポーツをしない言い訳が全く なくなってそれが困ることもありますが。

日本に限らず、ドイツでも子供の肥満が問題化しています。(大人は言うまでもありませんが。)強制するのではなくて、スポーツの楽しさ気持ちよさを 伝えること、これが最良の解決法だとつくづく思います。もし子供を持つことがあったら、ぜひその楽しさを教えてあげたいと思っています。(2007年7月 20日)

男脳と女脳

男の人と女の人の、脳の違いについて勉強し始めました。違うとは聞いたことがあったのですが、考え方や話し方までこんなに違うとは夢にも思っていま せんでした。まず読んだの、母が送ってくれたピーズ夫妻の「話を聞かない男、地図が読めない女」とジョン・グレイのベストセラー「男は火星から、女は金星から」(邦題不明) のドイツ語版。彼と一緒に読んで、それについて話し合ったりもしました。正に目から鱗!一読をぜひお勧めします!パートナーまたは夫婦間のストレスが激減すること間違いなしです。これらの本を読んでみると、今までのなぞが うそのように理解できました。両親の喧嘩の理由までも!

それをきっかけとなって、心理学全般にも興味を持ち勉強を始めました。MBTI (Myers-Briggs Type Indicator) というのは、ユングのタイプ論を元に開発されたパーソナリティテストです。 http://www32.ocn.ne.jp/~emina/  このページで一度テストしてみるととても面白いですよ。しかも、他のタイプの人間の特徴を知れば、付き合う上でのストレスも少なくなります。ちなみに私の タイプはENFP型で、彼はINTJ型です。それぞれのアルファベットが性格的な特徴を現しています。ですから私たちは、直感的(N)である点を除いて全 く正反対の性格なのです。 (2006年11月10日)

女性の生き方

昔から、女性の生き方に関心がありました。大学時代には、アメリカで女性学を学びたいと真剣に思ったくらいです。母が、当時はまだ少数派だったキャ リアウーマンの一人で、子供時代「鍵っ子」だったことが影響しているのかもしれません。日本の「食の世界」で活躍している女性達の多くが、「旦那さんの仕 事の関係で海外生活し、そこで料理やケーキ・パンを習い・・・」という経歴を持っていることに気付きます。それをうまく利用して、本を出したりエッセイを 書いたりするのは、もちろん本人の才能とやる気の賜物でしょうが・・・。なんか「他人の褌で相撲を取ってる」というか、女性も「自分の力」でもっと何かを 得ることが出来るのじゃないか、って思えてならなかったのです。(僻みも多少含まれてるかも?!)私は、ずっと「自分が本物になりたい」と思ってこれまでやっ てきました。これからもそれは変わらないと思います。個人的に、がんばってる女性が好きです。最近も偶然フランクフルトのメッセで元気な日本人女性に知り合って、たくさん 元気をもらいました!私も、周りにパワーを与えられるような自分でありたいとつくづく思います。

あ、この場を利用してついでに言いたいのですが、数日~数ヶ月の研修や海外経験で、ドイツやドイツ人、そしてドイツパンについて勝手な分かったようなことを言うのは誤解を招くのでやめてもらいたいものです。(長期滞在者でない、新鮮な視点と いうのはあるかもしれませんが。)もっと迷惑なのは、ドイツパンのことを何にも知らないで、勝手にドイツっぽいイメージの名前を付けたパン屋を開いたり、 パンを売ったりされる事。そして、パンの本に意味不明な理論の説明を書かれること。ドイツパンの間違ったイメージを撒き散らすことになるので。(ドイツで は、製品の名前に関して厳しく法律で規制があるのです。たとえば、あるケーキにはバターが何パーセント以上含まれていなければならない等。)日本のその状 況に、何とか対抗する手立てはないものかと今検討中です。本当に長年ドイツで修行して、日本で本物のドイツパンを作ってる方がちゃんと評価されるために も・・・。

(2006年12月10日)

母親になるということ

Ente最近、母親になることについて真剣に考え始めました。といっても、妊娠しているわけではありません。この歳になると姉や友達の多くが子持ちで、必 然的に接する機会も多くなって自分の事として考えざるを得なくなったというわけなのです。どちらかというと不幸なカップルの話を見聞きすることが多かった せいか、自分自身幸せな恋をしたことが少なかったからか、とにかく30歳を過ぎるまで子供が欲しいと思ったことはありませんでした。赤ちゃん用の小さな靴や服を見かけると、必要もないのにどうしようもなく欲しくなってしまうことなどはありましたが・・・。女 性問題に関心を持っ ていたため、「どれだけ出産・育児で女性が不利を被るか」という事のほうに関心があったことも事実です。時々、パートナーがいなくても知らない人の精子を もらってでも、とにかく赤ちゃんが欲しいという女性がいますが、私には想像できません。体力的にも精神的にも時間的にも、そして金銭的にも多大な負担の掛 かる長期的な仕事だと思うので、とても私なら一人でやりたいとは思えませんが。実際、シングルマザーとその赤ちゃんの悲劇を耳にすることは、両親がそろっ ている場合に比べて圧倒的に多いように思います。進学も諦めて、一人赤ちゃんを抱えての親子心中など聞くに堪えません・・・。それが望まない選択だった場 合、犠牲を払うのは圧倒的に女性です。だから「子供なんて持つものじゃない」とずっと思ってきたんです。

偶然発見したサイトCare the World を読 んで、だんだん「子供を持つ」って素敵な経験なのかもしれないと思えるようになりました。もちろん、人生のパートナーを見つけたからというのは大きな理由 の一つですが。彼 女の、鋭くてしかも温かい視線で捕らえられた文章は、考えさせれれることばかりです。私も、早くにたくさん幸せな親子を見ていたら、簡単にその道を選んで いたも知れないと思います。とにかく今は、もしそのようなチャンスがあったら飛び込んでみたいな、と思えるのですから不思議です。でもただでさえ高齢の部 類ですから、それは天にお任せするしかありませんね。この文章の題にもさせてもらった、「母親になるということ」という文章の入った「心に栄養」、本当に心にジーンと来ます。自分が幸せだと思えないとき、ぜひご一読ください!

(2007年8月7日)

児童虐待

日本で連日のように児童虐待のニュースが伝えられていた2009年5月から早3ヶ月。何事もなかったかのように、その 関連報道はピタリと止まった。虐待で双子の姉を失った少女はどうしているのだろうか。大火傷を負いながらも、生き延びてしまった赤ちゃんはどうしているだ ろ うか。彼女がいつか、その怪我は自分の母親にさせられたと知ったとき、何を思うのだろうか。パートナーが我が子を虐待するのを見殺しにした母親は、いつか 自分のしたことの重大さに我に返るのだろうか。考え始めたらで涙が溢れてくるけど、同情して泣いても何にもならない。友人に言われた言葉(泣いてても何に もならない。ボランティアも自分がちゃんと立っているのが原則。)で目が覚めた。私は虐待についてネットでかなり勉強した。定義やその背景、兆候や後遺 症。虐待の被害者によるサイトも数々読んだ。そして今、近所で怪しい兆候を見たとき、私は迷いなく通報できると自信を持って言える。もちろん、虐待自体がなくなることを願うのは言うまでもないのだが、私と同じように言える人が一人でも増えることを願って止まない。

(2009年8月13日)