ドイツ語と日本語

ドイツ語学校

大学でドイツ語を選択したといってもたった一年間でしたし、日本人教授の授業は文法一辺倒でしたから、1998年に初めてドイツに来た当時はドイツ語もほとんどしゃべ れませんでした。ドイツ一人旅以来、通学通勤途中に会話テープを聞いたり単語を覚え、週末にはビデオで撮りためた「ドイツ語会話」とZDFのニュースを見 るのがいつものパターンでした。しかしながら、ニュースはほとんど理解できませんでしたが。ドイツに行くにあたって、まずは2ヶ月間語学学校に通うことに しました。(その方がビザをもらい易かったということもあります。)Goethe Institut という有名なドイツ語学校、選んだのはミュンヘンの 南にあるプリーンという美しい小さな町でした。こぢんまりとした町で、どことなくアットホームな雰囲気があって気に入りました。有名な保養地で、ドイツ人 の観光客特にお年寄りが多く会話の相手に不足することはありませんでした。さまざまな国からのルームメイトとの生活も、楽しく懐かしい思い出です。

goethe klassenfoto.jpg最初のクラス分け試験でレベルごとに分けられました。クラスは確か15人前後だったと記憶しています。時期にも拠るようですが、大抵ク ラスに2~3人は日本人というのが普通です。日本人は概して文法がよく出来るので、上の方のクラスに入れられるのですが、他の外人におされて話すチャンス がなく黙っていることが多いようです。私はドイツに来た時、自分を変える良いチャンスだと思い「恥ずかしがらずに、思い切り間違おう」と心に決めました。 本当に切にドイツ語が上手くなりたいと思っていましたから。同じ授業料を払っているのだから、しっかり利用しない手はありません。

ドイツでパン職人の修行をするにあたって、CDCという別の語学学校にも参加 しました。(ケルン2ヶ月間、 そして1ヶ月間ベルリンで専門用語コース)先生の当たりはずれがあるとしても、テキストやOHP・ビデオなどを使った授業はどちらも悪くありませんでし た。本人の好みにもよると思います が、私の場合は学校ではあまり語学力は上がりませんでした。授業で聞いた文法の説明は、どう言うわけかあまり頭に残ってくれませんでした。それにそんなに 「ゆっくりはっきりしゃべってくれる人」は、語学学校の先生以外にほとんど存在しないので…。テレビドラマやトークショーを見た りするのも、スピードと日常語(教科書語でなく!)に慣れる良い勉強になりました。日常の会話の中で理解できなかったこと、言いたかったのに言えなかった ことを自分で勉強したのが、私の場合は最もよく頭に残ったように思います。

無口な人や恥ずかしがりで余りしゃべらない人は、いくら文法か出来てもやはり会話は上手くならないものです。耳の良くない人、つまりド イツ人の言い方や発音をよく聞けていない人も上達が悪いように思います。日本でほとんどドイツ語を勉強せず、いきなりドイツでドイツ語を勉強し始めた日本 人は本当に苦労していました。文法の説明ももちろんドイツ語で行われるのですから...。最小限の文法を日本でやってくることは、滞在 費や語学学校参加費を節約することになります。今は日本でも、テレビやラジオ・語学学校などいろいろな勉強の方法がありますから、それを上手く利用すると いいでしょう。インターネットで、ドイツ人のペンパルを見付けるのも勉強になります。語学学校も様々ですし、費用もかなり高いものですからよく比較した上 で選ぶことをお勧めします。本人の好みと目的に合っていることが、一番大切ですから。


ドイツ語と日本語

かれこれ9年ばかりドイツに住んでいます。ドイツ語でほとんど不自由することはなくなりましたが、ドイツ語が母国語でない事には変わりありません。 「ぺらぺらなんでしょう?」と人は簡単に言いますが、ドイツ人の役人と喧嘩が出来るとかその国の言葉で法律書を読みこなせるとか文学を味わって読めるとい うのは、不自由しないというのとはまったく別のレベルなのです。そういう種類のストレスは、多分何年ドイツで暮らしても一生付いてまわるのではないかと思 います。残念ながら・・・。日本人だって、みんな作家になれるわけでも法律を読みこなせるわけでもないから、当然といえば当然なんですが・・・。

私の日本語が、日本人的でなくなってきたと近頃よく言われます。(そう言うのは、もちろん日本に住む日本人です。)私自身、日本語を話すときにドイ ツ語を頭の中で訳していることがあったり、適当な日本語が浮かばなくて(ドイツ語のそれはハッキリ分かっているのに)イライラすることもしばしばです。(漢字・熟語・尊敬語忘れはさておくとしても。)最 近日本人の友人がドイツにやってきたのですが、その時も意思の疎通でしばしば問題が生じました。私は、彼女の主語なし日本語が理解できずにそのたびに聞き返す始末。ドイツ語では考えられないことですが、日本語って主語なしで文章が出 来てしまうんですよね。彼女は、私の日本語が分かりにくく、また反応が普通の日本人じゃないと言っていました。母からは、私のしゃべる日本語が日本語じゃないと言われたこともあります。言い方もきついし(直接的過ぎる)、日本人なら言わないようなことを言うとか・・・。

その半面で、ドイツ人には私のしゃべり方はまだ間接的でハッキリしないと、未だに言われたりします。「謝らない・察してくれない・ハッキリ直接言 う」ドイツ人に合わせるのに、昔は必死で努力したものでしたが・・・。ドイツ式に合わせる方が楽になってる分、日本人と難しくなるのは当然なんですけど ね。私は、何だか日本人でもドイツ人でもない宙ぶらりんな存在になりつつあります。私のドイツ人化した日本語のために、日本に住む日本人との関係が不味く なるのは本当に残念としか言いようがありません。だって私は私なのに!でも、どこで何語を話しても「自分らしくありたい!」と心から思います。
(2007年9月17日)

先日、自分でもつくづく「自分はドイツ人化したな」と思った出来事がありました。仕事の用事でケルンから電車で帰って来る時のことです。私は大きな トランクとさらに荷物を抱えていましたし、とても疲れてもいました。仕事が終わるのが何時になるか前もって分からなかったので、席の予約はしていませんで した。へレンベルクまで4時間も立っていることは避けたかったので、出来ることなら今からでも座席予約をしたいと思いサービスカウンターに向かいました。 そこは案の定、大勢の人でごった返していました。私は、行列の短かった「インフォメーションカウンター」に並びました。待つこと約5分、私の前に並んで いる人は一人になりました。その人は、案内の人と共に自動販売機の方に向かいました。使い方に不安があったのでしょうか。さらに待つこと数分、私はある光 景を目にしました。別の女性が、その案内の人をつかまえて質問しているではありませんか。その横には、次の人まで質問しようと待ち構えています。私は、そ の一人目の女性が質問し終わったところで声を出しました。「ここで私達は質問しようと順番に並んでいるんですよ」と。割り込んで質問しようとしていた人は 外国人だったらしく、もごもごと主張にならない主張を口にするばかりでした。案内の人は、私の主張に反応してカウンターに戻ってきました。それは、ドイツ では、極正当で理論的にも正しい主張と思われます。同じ状況で、私が日本で(日本語で)同じことを言ったかは疑問です。多分不満に思っても言わなかったで しょう。ドイツでは、不満を口に出さない限り「不満は存在しない」とみなされます。相手が察しなかったことが悪いのではなく、不満を口に出さなかった本人 の責任になるのです。日本とは、明らかに発想そのものが違うということがお分かりいただけると思います。結局、発車直前の座席予約は不可能で、私はすごす ごとホームに戻りました。

その後駅のホームで座っていると、隣に座った女性がタバコを吸い始めました。ドイツでは現在分煙化が進んでいて(と言っても日本ほどは厳格では ないのですが)、どこでもタバコを吸う事は出来ません。車内では禁煙・喫煙車にハッキリ分かれていますし、ホームでも喫煙コーナーのみで喫煙可能です。私 が座っていたベンチは喫煙コーナーではありませんでした。私は喫煙者ではないのでタバコのにおい自体が嫌いで、喫煙者の近くにはできるだけ座らないように しているほどです。私はすぐ口を開きました。「ここは喫煙コーナーではありませんよ」と。その女性は、すぐ「あ、そう」と反応しました。本当にただ気付い ていなかったのでしょう。でも言った後わだかまりもなく、非常にスッキリしている自分に気付きました。でも、同じ状況で私が日本で同じことを言ったかは疑 問です。私自身、ドイツ語を話す時は特にドイツ的考え方になると感じています。このままドイツ滞在が長くなれば、日本語でもドイツ化が進んでますます日本 人との摩擦が増えていくのでしょう・・・。でも、きっと日本人の中にも(当時の私と同じように)ドイツ的やり方の方が楽に感じる人がたくさんいるのではな いでしょうか。

(2007年11月18日追記)

娘の言葉

娘が言葉を話し始めました。確か14ヶ月頃からだったと思います。夫がド イツ語、私は日本語を彼女と話すので、両方の言葉が入り混じった状態で始まりました。初めはママ・パパだけからのスタートでしたが、15ヶ月の今では語彙 もずいぶん増えました。彼女は何語でも、一生懸命聞いてなかなか上手に真似します。(おむつ)が、なぜか(もにょ)になるのだけは解せませんが…。

ド イツ語では:ケッテ(ネックレス)やベッチェン(赤ちゃんベッド)、バル(ボール)、ミャウ(猫の幼児語)、ワウワウ(犬の幼児語)、ポポー(お尻の幼児 語)、ティディ(くまさん)、ベービー(赤ちゃん)、ワッター(水)、メンネン(女の子)、アイアイ(よしよし)、ナイン(ダメ)

日本語では:ヨーヨー(ヨーグルト)、バナナ、パン、じんじん(にんじん)、バター、桃、ポッポッポ(はと)、チョウチョ、メー(羊の鳴き声)、しーしー(おしっこ)、モー(牛)、ブンブン(車)、ペン(ペンギン)、ベン(ピン)、ゲッティ(スパゲティ)

書き出してみると意外とあるものです。1週間程の間に、バ→バナ→バナナと発音が正しくなっていったのは感動しました。

10ヶ月頃からは、ベビーサインと いうものをやっていたので、他にも様々な表現をすることが出来るようになりました。例えば、(バイバイ)とか(雨降り)(お腹いっぱい)(おいしい) (本)(洗う)(眠る・ねんね)(眠たい)(熱い)(歯磨き)(もっと)(欲しい)(終わり)(上手)(聞こえる)(お花)(魚)(さる)(カエル)(う さぎ)(鳥)(帽子)(大きい)(小さい)などです。

ベ ビーサインというのは、まだ言葉の話せない赤ちゃんと、身振り手振りで意志の疎通を図ろうというもので、アメリカの幼児心理学者自身の経験と研究から生ま れたものだそうです。言葉の話せない子供の要求や言いたいことが分かるというのは、日常生活の上でかなり便利なことです。それに、言葉の発達面でもポジ ティブな効果があるのだそうです。サインを小さな手でやっている姿がとにかくかわいいので、小さい赤ちゃんをお持ちの方にぜひおすすめします。ベビーサイ ンをやっていて驚いたことは、2ヶ国語でも問題なく機能するということです。早い時期から、Regen(ドイツ語の雨)という言葉にも、雨という言葉にも 同じ(雨)のサインで反応したのには感心しました。また、日本語の(暑い)と(熱い)という言葉に、同じ(熱い)のサインをしたのも、なるほど耳で聞くと 同じなんだなと改めて実感したものです。

娘は、人に何かを伝えるのがとても楽しいようです。子供が、始めて言葉を覚えて話す過程を目の当たりにするのは、毎日が新鮮な驚きの連続です。これから娘の言葉がどういう発達を遂げていくのか、興味深く見守っていくつもりです。
(2009年8月31日)