ドイツ語の勉強のために、そして何よりも"本当にドイツでパンの修行するなどということが私に出来るのか"を見 極めるために、まずドイツで1年間の研修をすることにしました。選んだのは、たまたま新聞記事に写真付きで掲載されていたゲストハウスOßwaldでした。朝日 新聞の、ヨーロッパの伝統を特集したシリーズのドイツ編でした。マイスター制度・職業研修制度などと並んで、農家民宿の存在やグリーンツーリズムの果たす 役割について書かれていて、非常に興味深いものでした。
自分でドイツ語でコンタクトを取って交渉する自信がなかったので、その記事の切抜きを握り締めて梅田のスカイビルにあったドイツ商工会議所に駆け込みまし た。今は事務所が閉鎖されてしまいましたが、当時の所長だったH.G.マミチ氏、秘書の荒西さんに本当に親切に協力して頂き、ゲストハウスでの研修が可能 になりました。(ビザをもらうのは、それでもやはり大変でした。)
ロマンチック街道の町、ネルトリンゲンの近くの、小さな田舎の村のゲストハウスでした。http://www.gaestehaus-osswald.de/ 村には各一軒のレストラン・民宿・小学校・幼稚園・教会・パン屋・肉屋・郵便局(分室)そしてゲストハウスがあるだけで、家畜とお年寄り・子供が目立つ静 かな村でした。初めて村に来た日のことを、今でもはっきり思い出すことが出来ます。不安と緊張でカチカチになって、ドイツ語も"ゲー テ "レベルでは田舎のSchwäbisch(方言)がほとんど理解できませんでした。
ゲストハウスは、Urlaub auf dem Bauernhof (農家民宿)と言われる農家の一部を改造した宿泊施設です。農業だけでは生活してい けない農家に別収入の道を与えると同時に、それによって農地が宅地開発されるなどの環境破壊を防ぐという役割があり、州政府からの資金援助を得ることが出 来ます。都会からの人には、自然の中でのんびりすごせて地元産の手作りの味覚を楽しめるということで根強い人気があります。やぎやうさぎ・羊・ポニーなど の小動物がいたり、乗馬の出来るところは家族連れで特ににぎわいます。
私の仕事は、ゲストハウスの厨房で料理したり食器を洗ったり、パンやケーキを焼くことでした。時には、料理や飲み物をお客さんにサービスすることもありま した。パンやケーキが上手く焼けて、お客さんに"おいしい"と誉められた日は一日中ハッピーでした。宿泊客は、 老人・小学生の団体さん、家族連れ、サイクリング・山歩きのグループなど。週末は、誕生・結婚パーティー・お葬式の集まりなどいつも多くのお客さんでにぎ わっていました。ゲストハウスは、身体障害者用の設備が完備されていましたから、障害者のグループも多く訪れました。日本人をはじめとするいわゆる外国人 観光客はどちらかというと少数派で、ドイツ人やヨーロッパからの長期滞在者がほとんどでした。
近くにはネルトリンゲン以外でこれといった観光名所もないのですが、みんなゆっくり散歩したり太陽の下で本を読んだり、のんびりとした時間を楽しんでいま した。子供達は、広々とした環境の中で思い切り走り回ったり、小動物にえさをやったりして目を輝かせていました。日本人には、なかなか馴染みにくい休暇の 過ごし方かもしれませんが、"なんにもしない時間を楽しむ"って最高の贅沢ではないでしょうか。
初めは相手の言っていることもよく分からず、言いたい事の10分の一くらいしか表現できなくて、本当に歯がゆい思いをする日々が続きました。 Schwäbisch(方言)は普通の辞書には載っていないので苦労しました。仕事の後は、同僚を訪ねてお茶しながらしゃべるのが楽しみでし た。時には カリン(女主人)の3人の子供達とテレビを見ることもありました。休日にはちょくちょく早起きして、村のパン屋の工房を覗きに行ったりしていました。その 時習ったおかげで、私は北ドイツで修行したにもかかわらずBrezelの成形が出来るのです!そんな中で、パン職人修行への自信と決心が固まっていきまし た。
当時私の苦手だったことは、予約の電話を取ったり領収書を書いたりすることでした。相手の名前や住所を正確に聞きとって書くことは至難の業でした。時間の 聞き違いでも、ちょくちょく間違いが起りました。英語とは違うドイツ語特有の、9時まで30分(8時半)などの表現がその原因です。また各種の飲み物を正 しいグラスに注ぐことも、とても難しいものでした。ビールといっても10種類近くあり、それぞれに決まった形のグラスがあり、しかも泡の分量は多過ぎても 少な過ぎてもいけないのですから。
ゲストハウスでは何でも手作りしていて、ジャガイモ10キロ15キロを剥くことはざらでした。初夏の白アスパラガス(Spargel)の時期には同僚達 と,100人分のアスパラガスの皮をひたすら剥き続けたのも忘れられません。Oma(おばあちゃん、カリンの母親)に昔のレシピを教えてもらったり、一緒 に庭のリンゴやベリーを収穫してケーキやジャムを作ったのは、心温まる思い出です。その時ひしひしとドイツの"豊かさ"を感じました。私自身おばあちゃんを持ったことがなく、いつもそれを夢に描いていたので、ドイツでおばあちゃんを持てたことはうれしい限りで す。
だんだんドイツ語が出来るようになるに従って(それでも方言はいまだに難しいのですが)、いろいろなことが楽になってきました。電話で用事を済ませること が出来るようになったり、会話中の勘違いや思い違いなどが減りました。日本語と同じように、ちょっとした言い回しひとつで聞く側は親切になったり、不快に なったりするものです。文化的な違いにも何度か直面しました。日本式間接的な表現とドイツ式直接的な表現。口に出さなければ「思ってない」とみなされるド イツ。相手が口に出す前に「察すること」が良しとされる日本。分かったつもりでも、実際はそう簡単なことではありませんでした。研修期間中で一番辛かった ことは、同年代の友人がいなかった事でした。村に若者が少ないのに加えて、言葉の問題も大きかったのだと振り返って思います。仕事上、週末に休みが取れな かったこともそれに拍車をかけました。
ゲストハウスでの1年間は、忘れることの出来ない経験としていまだに鮮明に私の記憶に残っています。オスワルトさん一家とはしばしば連絡があり、まるで "ドイツの私の家族"のように親しく付き合っています。